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C.T.T. Selection in HIROSHIMAの開催
C.T.T. Selection in HIROSHIMA
4月28日(土)13:30〜、18:30〜
4月29日(日)13:30〜
山小屋シアター(横川駅まえ、商店街)
上演協力金 1800円
お問い合わせ cielo_kie@yahoo.co.jp,(090-7892-8925)
公演終了後に合評会を行います


C.T.T.とは、11年前京都で始まったC.T.T.(Contemporary Theater Training)。
つまり「現代演劇の訓練」をコンセプトにした「試演会」の場です。

この度、アトリエ劇研のプロデューサーで、C.T.T.の発案者で京都事務局代表でもある杉山準氏と、広島の制作チーム劇×魂B.E.a.T、そして山小屋シアターの協力を得て、広島でのセレクション開催に至ることとなりました。
「試演会」という試みはまだ、広島にはなじみのない企画です。
「未完成なものを舞台に上げるのか」
「舞台とは照明や音響や舞台美術も含めた総合芸術ではないのか」
「どうせやるならなぜ本公演をみせないのか」

ここまでの過程で、すでにさまざまな声をいただいています。
おっしゃるとおりです。
では、なぜ、「試演会」である必要があるののでしょうか。

C.T.T.はその名のとおり、訓練の場であると考えてください。
そして今広島に最も足りないのは、まさに役者の訓練の場だと、わたし自身が感じたからです。
「本公演」という大きな結果に至る前に、やらねばならないことを、飛ばしてしまってはいないでしょうか。
「芝居をする」ということは、「書いてある段取りをこなす」ことでもなければ、「覚えた台詞を順番に発する」ましてや「上手に演技をする」ことではないはずです。
しかし、現在、その段取りをなぞることで本公演に至り、そこですべてが終わってしまうことがほとんどのように感じるのです。
もっとも芯であるはずの「表現」にまで至らずして、本番が終わる。こんな悲しいことがあっていいのかと。
なぜ舞台に立つのか、なぜこの台詞を発するのか、どこでどうやって心が動くのか、何を感じ伝えたいのか。そういったものを己の中にちゃんと構築して演技に至る役者が果たして広島にどれだけいるでしょうか。そして、その表現にひたらず閉ざさず、客観的視点で自分の芝居を冷静に観、分析し、常に己以外の表現者にまでアンテナを張りつづけることができる役者がどれだけいるでしょうか。
残念ながら、私の知る限りでは、そんな役者が育つ環境は今の広島にはありません。
だから本当に表現を求める役者はどんどん広島の外へ行ってしまうのです。
ここに「表現を求める役者」を育てることができる土壌があれば。
それは、わたし自身が芝居をする人間として、いつもジレンマに感じていたことなのです。
そんな時、このC.T.T.を知りました。

ただ本公演を終えた達成感に浸っているだけでは、いつまでも雪かきをするのと同じことです。
達成感は快感ですから、できればそこに留まっていたい。そしてまた味わいたいと思うでしょう。
その気持ちはとてもよくわかるのです。
しかしそれではまるで、舞台に立つ人が達成感を得るために公演をするようだ、と思いませんか?
それこそ、お金を払って観にきてくださる人はいったい何をしているのかわからなくなってしまいます。

ところがどんなに頭で考えても、稽古をしても、「舞台の場数」に代えられる稽古はありません。
観客の前に立ってみないとわからないこと、他者の目にさらしてみないとわからないことが、芝居には多くあります。
すこし格好をつけた言い方になってしまいますが、表現への探求は、すべてが終わってから始まる、そんな途方の無いもののような気がするのです。
しかし、舞台の公演は、時間もかかるし、人手も必要だし、なによりお金がかかります。
そういったストレスが、観客の前に立つ場、つまり表現への探求のきっかけを奪っているのなら、可能な限りシンプルな構成によってコストを削減し、役者が人前に立つ機会をコンスタントに提供する。
それがわたしのC.T.T.への印象です。

「こんな企画が広島にあったらどんなにいいだろう。
きっと毎回でも参加して、どんどん力を磨けるのに。」
わたしがそう感じたように、感じる広島の役者たちがいるかもしれない。
それならば始めてみよう。
それがすべての始まりでした。

「未完成なもの」ということに対しての誤解は、きっとわたしの拙い文章力では伝えることはできないでしょうけれど、先に記しましたように、観客の前に立つ時点で、すでに表現の探求は始まっているのです。
それは役者だけではなく、作家も演出家も同じことです。
未完成でいいのは結果だけであって、中身ではありません。
理屈っぽい言い方になってしまってごめんなさい。
言いたいのは、表現者を育てるのは、他でもない観客の目、だということなのです。

お料理を作るとき、おいしいと言ってくれる人がいると、さらにおいしいものを作りたいと思います。
食べてくれる人がいなければ実はまずいかもしれないことには気づけません。
そこで「おいしくなかった」と言われれば、落ち込んでしまいますが、じゃあどうしたらいいかを考えて再チャレンジします。そうやって腕を磨いていきます。
芝居も同じことです。見てくれる人がいなければ成立はしません。そしてたまには「おいしくなかった」ということを言ってくれる人も必要だと、わたしは思っています。それは経験が浅ければ浅いほど、必要だ、と。
そのためにC.T.T.には「合評会」が設けてあるのです。

ずいぶん長くなってしまいましたが、わたしが広島でC.T.T.をしようと思ったことを、どこかで形に出しておかなければと思いましたので、この場を借りて、話をさせていただきました。
こんな文章では、きっと誤解もあるでしょうし、良くわからないと思われる方もたくさんいらっしゃると思います。生意気だと、思われる方もいらっしゃるでしょう。
ですからどうか、足を運んでみてください。
セクションには、京都から本部の事務局の方がほぼ全員きてくださいますし、ゲストとして、こふく劇場の永山さんにも足をお運びいただきます。
皆さんのお越しをお待ちしています。

セレクションが終わっても、C.T.T.を広島で継続して開催していくつもりです。
そのお話はまた改めて。

管理人 岩きえ
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